用心研究、喜於助人、與人為善是金關丈夫教授的人格特質,而且其一生培育臺灣與日本學界的後進無數,因此,不論在其生前或身後,都獲得表彰殊榮。例如,1943年獲得日本天皇頒授敘勳三等的瑞寶章(該種勳章是頒授予對國家或社會公共事務長年功績卓著者);1954年受邀於昭和天皇御前演講;1969年獲得日本下關市教育委員會頒授『表彰狀』,表揚其對社會教育之盡力,功績卓著;1979年因提出日本繩文人與彌生人的外來混血論之學說,以「南島人類學研究之開拓及彌生人研究的業績」而獲頒『朝日賞』;更在逝世多年之後的2009年,被日本著名雜誌社新潮社的雜誌《考える人》特集「日本の科学者100人100冊」甄選為日本百位重要傑出的科學研究學人之一。
1983年,金關丈夫驟然逝世。日本的著名人類學與考古學雜誌《えとのす》(Ethnos)以第21期為對金關丈夫教授的追悼專集。包括楊雲萍、宋文薰、劉茂源、國分直一、中村哲、宮本延人、尾崎秀樹等臺灣與日本的學者,均撰文追悼。總計追悼文章逾30篇;在在顯示學界對金關丈夫教授為人與學問之肯定。
鶴見太郎先生在「日本の科学者100人100冊」中,對金關丈夫教授的讚語是:「正因博學而胸襟寬闊、品格高雅」(「博学なればこその 寛容さ、奥ゆかしさ」)。金關丈夫教授所獲得的殊榮與哀榮,可謂實至名歸。
※資料來源: | 新潮社《考える人》特集「日本の科学者100人100冊」(2009年夏號) 《えとのす》21期(1983年 7月) |
|| 受獎
|| 入選日本100科學家‧入選理由 |
|| 追悼專輯‧追悼文總覽 |
研究に心を配り、喜んで人を助け、善意の人であった人格者の金関丈夫教授は、生涯多くの台湾と日本の研究者の後進を育成し、そのため生前あるいは死後に、栄誉を表彰された。例えば、1943年に天皇陛下から勲3等瑞宝章を受賞した(この叙勲は国家・社会の公共事業に長年従事し、卓越した功績のある者に対して授与される)。1954年に昭和天皇へご進講。1969年に日本下関市教育委員会から社会教育に対する尽力と功績により表彰状を授与された。1979年日本の縄文人と弥生人の外来混血論の学説に対し、「南島人類学研究の開拓と弥生人研究の業績」を評価されて『朝日賞』を受賞した。更に逝去してかなり経過した2009年、日本の著名な出版社である新潮社の雑誌《考える人》の特集「日本の科学者100人100冊」に日本の傑出した科学者100名に選ばれた。
1983年に金関丈夫は急逝した。日本の有名な人類学と考古学の雑誌《えとのす》は第21号で金関丈夫教授の追悼特集を組んだ。楊雲萍、宋文薫、劉茂源、国分直一、中村哲、宮本延人、尾崎秀樹など台湾と日本の学者が追悼文を寄せた。その総計は30編を越え、学界の金関丈夫教授の人物と学問に対する評価の高さを示している。
鶴見太郎先生は《日本の科学者100人100冊》中で、金関丈夫教授を「博学なればこその寛容さ、奥ゆかしさ」と称賛している。金関丈夫教授の獲得した生前と死後の栄誉は、この言葉につきると言える。
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