金關丈夫教授喜愛文藝,也實際勤於繪畫,展現其天份。他之擅長繪畫,一方面是應用在解剖學的講課中,例如需要畫出人的骨骼、內臟等,另方面則是有關生活寫實的戲作。例如,田野考古的情形、週遭友人的樣貌等,都在他繪畫才能與幽默感的融合下,成為趣味盎然的作品。

金關教授是國分直一先生十分敬重的師長,而他對於國分直一先生也十分照顧。在日本戰敗後,兩人均為國民政府所留用。在留用的四年之間,金關教授提供國分直一住在家中,當時國分直一的妻子與女兒均在日本,為讓其家人了解國分先生在臺灣生活情形,以寬解她們的掛念,金關教授乃以幽默風趣的筆調,繪畫國分直一在臺灣的生活趣事,並附加短文,讓她們感受在臺灣愉悅的一面。金關教授的此一《國分先生行狀繪卷》,實為師生至上情誼佳話之具體見證。

※資料來源: 金關丈夫《國分先生行狀繪卷》(1948年10月)
金關丈夫寄給國分直一妻女的明信片(1958年8月)
《えとのす》21期(1983年7月)

 

|| 國分直一先生行狀

     
     
 

|| 明信片繪畫

||  田野調查繪畫

  

|| 考古發掘繪畫


金関丈夫教授は文芸を愛すると同時に、よくイラストを画いて、その画能を発揮している。彼は絵がうまいので、解剖学の講義の最中に、例えば人の骨格、内臓などを図示する必要があるときにその特技を生かしたり、別の方面は生活の描写をする戯れ事で生かしたりした。例えば、発掘のフィールドの状況、周囲の友人の様子など、すべて彼のイラストはユーモアのセンスがあふれて、興味深い作品になっている。

金関教授は国分直一先生が大変尊敬する師であり、金関も国分先生を非常にかわいがっていた。日本の敗戦後、二人は国民政府に留用された。留用の4年間、金関教授は国分直一を自分の家に下宿させ、その時国分直一の妻と娘は日本に帰国させていた。その家族に国分先生の台湾での生活ぶりを知らせ、彼女たちに心配を掛けないように、金関教授は面白くユーモアのある筆致で、国分先生の台湾での生活で面白かった出来事を描き、短文を添えて、彼女たちに台湾での楽しかった一面を伝えている。金関教授の《国分先生行状絵巻》は師と弟子との麗しき交わりを示している。

※出典: 金関丈夫《国分先生行状絵巻》(1948年10月)
金関丈夫が国分直一の妻に送った絵はがき(1958年8月)
《えとのす》21号(1983年7月)