金關丈夫教授的學問專攻領域是醫學的解剖學,但他對於人文方面也甚感興趣。其性格與學問上的格局寬廣;透過跨領域的探索,建構學問的版圖,故不論工作或交友方面,均已超越領域藩籬。

金關教授在人文考古方面最早的研究舞台是沖繩;他曾前往琉球調查,對那裡的南方風土非常感興趣。日本治台,他轉任職臺灣,並對此機會感到高興,因為可以更廣泛地證明日本文化上的一些重要表現,例如是否曾受到南方文化的影響,以及研究臺灣所謂的高砂族是什麼時候從哪裡來到臺灣定居下來的。金關教授認為,要解答這類問題,首先還是必須從民族學、考古學、人類學等著手。因此,在臺灣的留用結束返日之後,考古發掘的田野調查工作亦未停歇。他極盡畢生努力,嘗試各種方法,跨越廣泛的學問領域,不辭辛勞投身田野調查;這多樣的努力,目的都是在為此類問題找尋答案。

本展覽與網頁所展示之照片,一部分為金關恕先生提供,大部分為取用自《えとのす》21期(1983年7月)。在此特別感謝日本下関市的新日本教育図書株式会社慨允利用。

※資料來源:金關恕、金關悳先生2011年12月口述歷史

 

|| 金關丈夫先生照片

 
    
    
 
  
  
   
 
    
  
  

 

金関丈夫教授の専攻領域は医学の解剖学だが、彼は人文学方面にも非常に関心を持っていた。その性格と学問のふところは広く、さまざまな領域を跨り、学問の地図を構築し、仕事にしても友人関係にしても領域の垣根を越えていた。

金関教授が人文考古学方面で最も早く研究したのが沖縄である。彼が琉球調査に向かったのは、南方の風土に興味を持ったからである。日本が台湾を統治し、彼は台湾に赴任して、その機会を大変喜んだ。なぜならば、日本文化を多角的に研究できるからで、例えば南方文化の影響をどれだけ受けたか、さらに台湾高砂族がいつどこから台湾に来て定住したのかを研究したかった。金関教授は、これらの問題に取り組むべく、まず民族学、考古学、人類学などから着手せねばならないと思った。そこで台湾での留用が終わって日本へ帰国した後も、考古学的発掘やフィールド調査を継続している。彼は生涯あらゆる限りの力を尽くして、各種の方法を試み、広範な学問領域を超えて、苦労をいとわずフィールドワークに身を投じた。この多様な努力、目的はすべてこの種類の問いの答えを模索していたのである。

※出典:2011年12月、金関恕、金関悳先生からの口述