1941年7月,金關丈夫教授與同好池田敏雄等人創刊雜誌《民俗台湾:風俗習慣の研究と紹介》。金關教授是該刊的主編,為此刊物的創刊號撰寫「卷頭語」。在該卷頭語中,他以羅馬人毀滅迦太基(Carthago)之歷史事件為例,認為該事件的勝利者羅馬人將迦太基人的歷史遺物破壞殆盡,至少也應該為迦太基人留下民俗誌之類的紀錄;但羅馬人並未這麼做,他對此毫無責任感,感到無比的憾恨,並呼籲日本人應該愛護殖民地與民俗文化相關的「紀念物」。此番話在在顯示金關教授對於被殖民民族的歷史文化之看重與珍惜。他在該刊中,以「金關生」、「金雞」、「蓬頭兒」等筆名發表文章。該刊物正式刊行43期之後,因二次大戰轉趨激烈,留下第44期完整的已付梓之「校樣」,以及第45期已付梓之未完成本,由池田敏雄先生交予楊雲萍教授保存(現存臺大圖書館「楊雲萍文庫」)。

自民國35年7月起的四年之間,金關丈夫教授與立石鐵臣、國分直一、池田敏雄、森於菟等人共同編製《回覽雜誌》,由參與者輪流擔任主編;完成編製的逾20冊,總頁數約6,500頁。他們將自己身為知識份子對真・善・美的自主追尋,化為此部《回覽雜誌》。此撰寫工作,幫助他們超越困境,包括二二八事件所帶來的困難。該刊物的文章包括生活點滴的描述與相關插畫、散文與小說創作、書畫評論、幽默的生活寫實之虛構廣告專欄等,內容十分繽紛多樣。但因為該雜誌未刊行,必須尊重各撰文者之著作權,故目前是以寄存的方式,典藏於臺大圖書館,尚不得開放閱覽使用。所幸金關教授於該雜誌中所撰之文,後來大多已經刊載於正式出版品如《九州文學》,或出版為小說集或隨筆集。相信其他作者的部分作品亦然。

※資料來源: 《民俗臺灣》第一卷第一號(1941年7月)安溪遊地教授撰「回覽雜誌」
(1911年國分直一教授贈藏展,展覽說明資料)
楊雲萍「記最後一期的『民俗台灣』」,《公論報》(民國43年5月31日,第6版)
國立臺灣大學圖書館典藏「楊雲萍文庫」 實際館藏。


|| 回覽雜誌樣張

           
           
           
           
           
     

 

|| 民俗臺灣創刊號卷頭語

|| 民俗臺灣封面例

     
 
   


1941年7月に、金関丈夫教授と同好の士である池田敏雄などと、雑誌《民俗台湾:風俗習慣の研究と紹介》を創刊した。金関教授は雑誌の主幹編集者なので、創刊号には「巻頭言」を寄せた。この巻頭言で、彼はローマ人がカルタゴを撲滅させた歴史事件を例に挙げて、当該事件の勝者であるローマ人はカルタゴ人が残した歴史的記念物を破壊し尽くしたが、民族誌をおだに遺そうとしなかったローマ人の無責任を非難している。これは痛恨の極みで、「われわれは記念物を愛護しよう」と呼びかけている。この主張は植民地の民族の歴史と文化を重視して保護すべきという主張を金関教授は明らかに示している。彼は雑誌の中で、「金関生」、「金雞」、「蓬頭児」などのペンネームで文章を発表している。この雑誌が正式に43期まで刊行した後、第2次世界大戦の戦況が激しくなり、44号の完全な「ゲラ」原稿と第45号の部分的の「ゲラ」原稿が出ており、は、池田敏雄先生が交友のあった楊雲萍教授に保存させた(台湾大学図書館「楊雲萍文庫」所蔵)。

1946年7月からの4年間、金関丈夫教授と立石鉄臣、国分直一、池田敏雄、森於莵などの仲間たちが《回覧雑誌》を共編し、参加者が順番に編集主幹を担当した。製本は20冊を越え、総ページ数が6,500ページになった。彼らは、インテリとして真・善・美を探求することだと自覚し、これを《回覧雑誌》に生かしたのである。この編集作業は、228事件よりもたらされた難関も含めて、彼らの苦境を助けるものであった。この刊行物の文章は、生活ぶりを描写し、関連したイラスト、エッセイと小説の作品、書画の評論、生活の写実のユーモラスな虚構広告コラムなどがあり、内容は多種多様である。しかしこの雑誌は正式に出版されていないので、必ず各文章の著者の著作権を尊重しなければならないために、現状は寄託方式で、台湾大学図書館の収蔵品ではあるが、まだ閲覧提供はできない。幸いにも、金関教授はこの雑誌に書いた文章を選んで、大部分を《九州文学》のような正規出版物か小説集や随筆集として出版していた。その他の作者の部分の作品が同様であることを願う。

※出典: 《民俗の台湾》第1巻第1号(1941年7月)の安渓遊地教授選「回覧雑誌」
(1911年国分直一教授寄贈展、展覧説明資料)
楊雲萍「『民俗台湾』最終号」《公論報》(1954年5月31日、第6版)
国立台湾大学図書館所蔵「楊雲萍の文庫」